少し前にこんなツイートを見ました。
なんだろう、20年前のニュースのような印象を覚えます。 https://t.co/HE3K424YVH
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2024年4月8日
このような「全然 + 肯定」の形式の文に関する話は、テレビやSNSでときどき目にする話題です。「20年前の記事のよう」と言われるくらいには、昔から良く取り上げられる話題のようですね。
この手の話は、この記事のように
- 「明治期の文豪が使っている例があり、昔からある用法だ」
- 「俗な使い方なので畏まった場では控えたほうがいいだろう」
という説明がされることが多いイメージがあります。
「俗な使い方なので」についてはその通りだと思いますが、「昔からある使い方だ」には違和感を持っています。これに関して、文学部時代に授業で以下のような話を聞いた記憶があります。
- 旧来の「
全然+ 肯定」は、「完全に」「ことごとく」という意味だった - 現代の「
全然+ 肯定」はそれとは異なり、「話し手・聞き手の想定の否定」を表す機能がある
※「話し手・聞き手の想定の否定」は存在する用語ではなく、私が勝手に言っています。授業でどんな表現で説明していたかは記憶が曖昧です。
以下、この話について書いていきます。
- 「全然 + 肯定」の旧用法
- 現代語の「全然 + 肯定」の用法
- 「全然 + 肯定」は「想定の否定」の機能を持つ
- 全然の用法は戦後変化したらしい
- まとめ
- おまけ - 「全然」に関する研究を見てみる -
- おわりに
「全然 + 肯定」の旧用法
明治・大正期の全然の用例として、以下のようなものがあります。
老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。
羅生門は1915年(大正4年)の作品ですが、この全然は「完全に」というニュアンスで使われていて、「老婆の生死が、完全に、自分の意志に支配されている」という意味になりそうです。
これは、現代語の感覚からすると違和感のある表現で、現代では使われていない用法と言って良さそうだと思っています。
現代語の「全然 + 肯定」の用法
現代で使われる「全然 + 肯定」の例を見てみます。冒頭のツイートのツリーにいくつか例文が書かれたツイートがあったので引用します。
あと、「全然」には肯定・否定のどちらが続くかという問題以外に、種々の用法の広がりがあります。「(参加していいかと聞かれ)全然来てください」「(ないと思ったが)全然あるじゃん」など、微妙なニュアンスを伝えます。これは一体「何を誤用した」のでしょうか。何かの誤用でなく、新用法です。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2024年4月8日
これらの全然について、ツイートでは「微妙なニュアンス」と表現されていますが、この「ニュアンス」が、「話し手・聞き手の想定の否定」だと考えています。
例えば、「全然来てください」は「参加してはいけないのではないか」という聞き手の想定を否定していると言えそうです。また、「全然あるじゃん」は「もうないのではないか」という話し手自身の想定を否定していそうです。
以下で、この「話し手・聞き手の想定の否定」(以下、長いので単に「想定の否定」とします)についてもう少し見ていきます。
「全然 + 肯定」は「想定の否定」の機能を持つ
突然ですが、
私は全然食欲があります。
という文で文章を書きはじめるのは自然でしょうか。私には不自然に感じます。*1
私の直感としては、「全然 + 肯定」の形が、その場に存在する何らかの想定を否定する機能を持つためと考えられそうですが、いかがでしょうか。
例えば以下のような会話を想定すると、自然さの度合いが上がりそうです。
「体調悪そうだね。食欲ある?」 - 「全然食欲はあります」
これは、聞き手の質問に含まれる「食欲がないんじゃないか」という想定を否定する文となっているため、と考えられそうです。
つまり、「全然 + 肯定」は、話し手もしくは聞き手が持つ何らかの「想定」を否定していないと不自然な文となりそうです。そのため、冒頭で「全然 + 肯定」の機能を「話し手・聞き手の想定の否定」と書きました。
言い換えると、「全然 + 肯定」が自然な文となるには、否定される対象となる何らかの「想定」がその場に存在する必要がある、とも言えそうです。
全然の用法は戦後変化したらしい
ここまで、「全然 + 肯定」の用法が昔と今で違うことを見てきましたが、この用法の変化が起きたのは戦後(昭和20年代)の頃のようです。
三省堂国語辞典 第八版*2で「全然」を引いてみると、項目の末尾に以下のような注釈があります。
「『全然』の下には、本来、否定が来る」というのは、戦後に広まった誤解。戦前から①と②の用法があったが、戦後、①が特に広まったため、これだけが本来という誤解が生まれた。
なお、①、②はいずれも用法の番号です。①は「全然 + 否定(もしくは「違う・別だ」など)」の用法、②は「完全に・すっかり」を表す旧来の「全然 + 肯定」の用法です。*3
以下の記事でも「本来否定を伴う」と言った規範意識は昭和20年代後半に広がったという紹介されています。
まとめると、全然の用法は以下のような変遷を辿っていそうです。
- 「
全然+ 否定」の用法は戦前から戦後を通じて変わっていない - 「
戦前+ 肯定」の用法は以下のように変化した- 戦前は「完全に」を表す用法があった
- 戦後、「
全然+ 否定」の形で使うべき、という規範が生まれて「全然+ 肯定」使用は減っていった - その後、「
全然+ 否定」の用法から派生した(?)「想定の否定」の機能を持つ新しい用法が発生した
新しい用法の発生が「全然 + 否定の派生」かどうかは明確ではないですが……。
まとめ
ここまでの話のまとめです。
- 「
全然+ 肯定」は、戦前/戦後で異なる2つの用法がある- 語形として「
全然+ 肯定」という形が昔から存在する、という話は間違いでないが、「昔からある用法」と両者をひとまとめにしていいかは怪しい。
- 語形として「
- 現代語の「
全然+ 肯定」は「話し手・聞き手の想定を否定」する機能を持つ- 「否定する対象となる想定」がない場合、「
全然+ 肯定」は不自然な文になる
- 「否定する対象となる想定」がない場合、「
ただし、「全然」に関する論文を見てみると、そもそも「全然 + 肯定」に限らず全然自体に「想定の否定」に相当する機能があるとしているものも多いようです。このあたりは奥が深そうですが、長くなるのでこの記事はここでやめておきます。
以下で、いくつか見かけた論文を紹介します。
おまけ - 「全然」に関する研究を見てみる -
全然についての既存の研究を見てみると、「想定を否定」する機能は、「全然 + 肯定」に限らず全然自体の機能と見る見方があるようです。
全体に、「全然」が冒頭語となっている例は(中略)質問者の懸念を打ち消す回答が多いようである。 服部 匡(2007)大規模コーパスを用いた副詞「全然」の共起特性の調査 : 朝日新聞とYahoo!知恵袋の比較
これはコーパス(用例集)を基に全然とともに現れる言葉の特性を調査した研究です。全然には「質問者の懸念を打ち消す」というのがこの記事での「想定の否定」に当たりそうです。
相手の心的状況であるとか、話し手の以前から持っていたイメージなどに対して「訂正」をするであるとか「意義を申し立てる」と言った発話において「全然」が用いられているということである 有光 奈美(2002)否定的文脈と否定極性項目に関する一考察--"not at all" vs. 「全然」を中心に--
こちらは、英語のnot at allと比較しつつ全然を概観した研究です。4.2の述語の話や4.3全然の現れる文脈の話や、4.7の全然単体で使われたときの振る舞いがアクセントによって変わる話など、なるほどと思う観点ばかりで面白いです。
また、孫引きになりますが、以下の記事によると全然の機能について「否定の想定を打ち消す配慮の機能」や「文脈想定の否定」という説明をしている研究があるようです。
その他、全然を扱った既存の研究はたくさんあるようです。主要な研究については国立国語研究所という日本語学・言語学の研究機関が目録を公開しています。
おわりに
学生時代に聞いた「全然 + 肯定」の話を軽く書くつもりが、色々考え始めると「意外と奥が深いぞ」、となり、この何日か暇を見ては全然について悩む日々を過ごしていました。
「全然 + 否定」とも絡めた細かい用例の比較にも若干足を踏み入れたのですが、「これは真面目に考えだしたらキリがないな」と思い、一旦この記事は明治期と現代での用法の違いを簡単にまとめるにとどめました。(簡単に、のつもりがまあまあ長い記事となってしまいましたが。)
他にも、述語のタイプによる自然さの度合いの違いや、「全然 + 肯定」、「全然 + 否定」、単体の「全然」と言ったそれぞれの形の出現する環境の違いや意味の違い、全くとの比較などをしてみても面白そうかなと思っています。
また用例を見る中で、文脈に存在する「想定」を否定する全然と、1文の中で直後の述語を修飾する全然のように、同じ全然でも影響を及ぼすスコープが異なるものがあるような気がしていて、そのあたりも気になっています。このあたりも、ちゃんと探せば既存の研究が何かしらありそうな気がしています。
これらはまたいつか別記事を書くかもしれないし、老後の楽しみに取っておくことなるかもしれません。